六角形の形をしたフランスの中心点近くにある小さな村、
Oradour-sur-Glane (オラドゥール・シュル・グラヌ)を訪ねました。
帰郷のたびに通過する中堅都市リモージュからは25kmほどの距離にあり、
いつかは寄らなくてはと思っていたのですが、やっと今回高速を降りて
訪れることが出来ました。
(この季節の交通機関はリモージュから一日にバスが 3便あるのみです。)
1944年6月10日、この村はナチスドイツ親衛隊により完全に破壊されました。
当時のフランスはドイツ占領下、
6月6日には連合軍の「ノルマンディー上陸作戦」が始まり、ナチス親衛隊
とフランス人レジスタンスとの戦いも熾烈なものとなり、親衛隊上部が
フランスのレジスタンス組織の幹部がオラドゥール村に潜んでいるという
情報(誤情報)を掴み、約200名の兵士が村を包囲し、村人642人を虐殺し、
(生き残ったのは50人ほど)一晩で村全体を焼却してしまった、
という凄惨な記憶を持つ場所です。
上の写真は、村の女性と子供400人あまりが閉じ込められ、
マシンガン、手榴弾、爆発物により虐殺された教会の廃墟です。
プレートには「この場所に村人全員が(強制的に)集められた。」
抵抗するものはその場で射殺されたそうです。
ここで女性と子供のグループ、男性グループに分けられ、女性と子供は村の
教会に連れていかれ、男性は6つのグループに分けられ村の建物内で銃殺、
建物ごと焼灼されました。虐殺の証拠を消すためです。
教会内、爆発で吹き飛んだステンドグラス跡。
生存者が唯一名いました。
高い窓から這い出て茂みに隠れ込んだということです。
教会内、爆発で抜けた屋根、燃え上がった炎のあと。
破壊された家々には普段の生活の記憶が残っています。
ヨーロッパ各国、そしてドイツからの訪問者ともすれ違いました。
戦後の1945年、シャルルドゴール首相(当時)はこの村を訪れ、ナチスドイツ
の残忍さを記録にとどめる目的で村を再建せずに保存することに決めました。1999年にはジャックシラク大統領により、この惨劇を伝えるためのメモリアルセンター(資料館)が建設されています。2014年には虐殺に関与した旧ナチス親衛隊の一人がドイツで起訴されています。
焼かれた車が10数台、そのままに残されています。
上の彫刻は壁から教会内部を見下ろす天使、無傷で残っています。
ナチス親衛隊の一人の証言、翌日に妻子を探しに来たフランス人男性の証言を
読みましたが、その時の教会内の様子は正直読まなければ良かったとすら思いました。
教会内では異様に肩が重く、足はもつれて長く居ることは出来ませんでした。
昔からドイツ・フランスは争い事が絶えず、その度に周辺国を巻き込んで
大戦を引き起こしてきました。
今は欧州の大国同士として二度と昔のような争いはしないという「決め事」
が存在し、それは固く守られているようです、おそらくこの先々も。
戦争を知る世代も高齢となりましたが、知り合いの老人たちと話してみると、
今も大変な軋轢を心の底に残していることがわかります。
若い世代は特に気にすることもないようですが、でもよく聞いてみると、
「若いドイツ人とでも戦争の話はしないけどね、、」という不文律もあるようです。
戦争についてコメントしたりConclutionを付けたりするのは苦手なのですが、
今回も非常に難しいです。
異常に疲れました、この旅は。この言葉で終わらせていただきます。