先史時代の巨石文化 メンヒルの里

フランス中央高地 メンヒル La cham des Bondons

この夏にフランス南部の「中央高地 Massif central」へ行ってまいりました。
その中の「 La Cham des Bondons ラシャンデボンドン」という台地になっている里があるのですが、ここには先史時代の巨石記念物メンヒルが150基ほど残されています。

La cham des Bondons フランス中央高地 メンヒル

メンヒル(Menhir)はモノリスとも呼ばれ、造られたのは少なくとも4000年以上昔、あるいはもっと古いかもしれません。その目的は今もって解明されていませんが、おそらく宗教的な意味があったのでしょう、ということですけれど。

フランスの中央高地はこの辺にあります。この地図はラシャンドボンドンを含む
Parc national des Cévennes のサイトからお借りしました。

メンヒル フランス中央高地 La cham des Bondons

なだらかな曲線が続きます。

La cham des Bondons フランス中央高地 メンヒル

不思議なのはこの一帯には石灰岩しか見当たらず、メンヒルの固い石は少なくとも数キロ先の山からしか探し出せないこと。さてあの時代にどうやって運んだのでしょう、何トンあるのかしら・・

フランス中央高地 La cham des Bondons メンヒル

ぽつんとまた一つ、
過去記事で、もう一つの古代遺跡 ドルメン巨石墓遺跡 について書きました。
ドルメンの存在目的についてはかなり解明されているのですけれど。

フランス中央高地 なだらかな台地 積み石

手前は古いものじゃないです、なんで人間は石を積みたがるのでしょう?

フランス中央高地 なだらかな台地 メンヒルハイキングコース

ちょっと下り坂を行きます、こちらはメンヒルめぐりのハイキングコースが整備されていて、一周5キロ2時間の旅となります。アップダウンは激しくないですが靴だけはしっかりしたものを。私は間抜けにもサンダルを履いて行って途中で壊しました。(歩けましたけど)車は途中までしか入れません。

フランス中央高地 メンヒル La Cham des Bondons

ここのメンヒルはイギリスのストーンヘンジやフランスのカルナック列石遺跡のように円形に並んでいたり、列状になっていたりしないんです。
こんなかんじにぽつんぽつんと。こちらは珍しくペアであります。

La Cham des Bondons フランス中央高地 Cardabelle 向日葵に似た花

Cardabelle カルダベルという名の地表に咲く向日葵みたいな花をよく見かけました。ちょっと枯れ気味。

フランス中央高地 メンヒル La Cham des Bondons

La Cham des Bondons フランス中央高地 メンヒル

フランス中央高地 牛の放牧 La Cham des Bondons

なだらかな丘を活かして牛の放牧が盛んです、ミルクチョコ柄の牛。

フランス中央高地 La Cham des Bondons 台地の農地の壊れた農耕器具

農耕具が朽ち果てて、、。よく見かける鉄線は牛の逃亡除けのもので電流が流れています。一度触れてしまったことがありますが足先まで強烈にビリッときまして、でも健康には影響ないようです、多分。

フランス中央高地 La Cham des Bondons 小麦畑

小麦畑も多く美しく、のどかな里です。


歯車好きの皆さまへ Musée des arts et métiers

19世紀 新聞の輪転印刷機 歯車

タイトルが奇妙でありますが、今回はただひたすらに精巧美の世界をお楽しみください、ということで。
「パリ工芸博物館」フランス国立工芸院(エンジニア校)付属ミュージアム。
ヴィジュアルの洗練度の高さで言えばパリ有数の博物館と思います。
上の写真は19世紀の輪転印刷機の一部、新聞の発行部数を飛躍的に伸ばしたそう。でもそういう解説は二の次に見惚れてしまう美しさです。

パリ工芸博物館入口 

入口です。世界初の飛行機・テレビ・オートバスなどがありますよ、と。
世界のテクノロジーとサイエンスの発明品・歴史物を収蔵する博物館です。

パリ工芸博物館 クレマンアデールの飛行機

こちらはフランスの技術師クレマン・アデールが造った飛行機 1891年。
ライト兄弟がガソリンエンジン付きの飛行機での飛行に成功したのが1903年ということなので、それよりもはやく製造されたわけですが(蒸気機関)、飛行したという事実はどうもはっきりしないようです。

パリ工芸博物館 機械仕掛けの地球儀

以下は説明は省きつつ、、
実際にすべての製品の仕組みなどを理解しながら見るとしたら、一週間などでは全然足りず、一ヶ月でも難しいかもしれません。その前に頭が暴発しそうですけれど。展示物は3000点以上あります。

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館 分銅

重さを測る分銅。

パリ工芸博物館 パスカルの計算機 1642

フランスの生んだ天才「パスカル」の6桁の計算機、1642年。

パリ工芸博物館

Copper colorにうっとりしてしまいます。
機能重視は当然としても、美しく造られたものですね。

パリ工芸博物館

もうレンズをマクロに取り換えて舐めるように撮っていきました。
(全体写真が少なくてすみません)監視員の目線が背中に刺さる刺さる。

パリ工芸博物館

スティームパンクの世界ですね。地味な服を着てきたことが悔やまれました。
革の小物類でキメてくればよかった、、(痛くない範囲で、笑。)

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館

これは布を織りあげる機械です。歯車が美しくて。

近代化学の父ラヴォアジエの実験器具

近代化学の父と呼ばれるLavoisier (ラヴォアジエ 1743-1794)の化学実験装置のひとつ。フランス革命中にコンコルド広場でギロチンで処刑されたのですね。

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館 2連の蓄音機

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館 IBM初期のスーパーコンピューター 7030stretch

IBMの最初のスーパーコンピューター 7030STRETCH (1961) のスイッチ群。

パリ工芸博物館 ロシア製惑星探査機 LAMA 

ロシア製の惑星探査機 LAMA (1995)、車輪に惹かれます。宇宙には出なかった模様。

パリ工芸博物館 アップルコンピューター LISA2

こちらは Apple の初期のコンピューター LISAⅡ (1984)
LISAとはスティーヴジョブ氏のお嬢さんの名前だそう。
ちょっと余談です、実はこちらの機の寄贈者名を見て「あら友達だわ・・」
家族で参加している古いコンピューターとビデオゲームの保存協会の会長でありました。

アップル社 コンピューター LISA2 

後日協会事務所に行った時「アールエメティエでしょ?寄贈者名は協会の名前にして欲しいと言ったのに間違えられて。」
「LISAⅡまだもう一台あるよ。」と言われ倉庫を覗き夫とともに写り込みセルフィー。
今現在のオークション価格は3000USドルを下りません。

パリ工芸博物館 からくり時計

からくり人形時計も多数展示してあります、必見であります。

パリ工芸博物館

パリ工芸博物館 旧修道院 礼拝堂 展示室

建物は12世紀から続く教会の修道院であります。礼拝所のようですね。

パリ工芸博物館公式サイト


古代円形闘技場 in Paris

古代ローマ時代 アリーナ 

「パリにローマ時代のアリーナ(円形闘技場)が残ってるって知ってた?」
「えっ、そんなのあったっけ?どこ?」私とオットの会話です。

パリ 古代ローマ時代 アリーナ プラスモンジュ駅

さっそくカメラを掴んで行ってまいりました。
場所はパリ5区プラスモンジュ駅  Place Monge(上写真 Rue de Navarre 側出口)、
その真後ろにあります。

ARENES DE LUTECE 古代ローマ時代 アリーナ 説明板

Arènes de Lutèce  アレーヌドリュテス。
リュテスとは古代ローマ時代に使われた現在のパリの地名です。(Lutetia ラテン語)
ローマ帝国はヨーロッパ中を侵略しながら、配下にした町々に円形の闘技場を造っていきました。
フランス国内にもボロボロに崩れたアリーナの廃墟がたくさん残っています、大きな街にはたいていあるんじゃないかしら、というほどに。
このパリのアリーナは一世紀に造られたもの。おそらくパリで現存する一番古い建造物ではないかと。(コンコルドのオベリスクは?)

古代ローマ時代 アリーナ 外の通りとの通路

外通りからの通路、

古代ローマ時代 アリーナ パリ

円形の底の部分が剣闘士が戦ったであろうステージです。(ゆるく楕円形。)
当時のローマ人の血生臭い娯楽の映像は Ridley Scott監督の映画 Gladiatorでどうぞ。

古代ローマ時代 アリーナ 音響壁土台

この四角い部分はかつては十数メートルの高さを持つ壁の土台で、音響装置としての働きもあったようです。音楽や演劇俳優の声、観客の歓声が反射増幅するようになっていたとか。

古代ローマ時代 アリーナ アパート群に占領された一角

その音響壁の反対側はアパート群に押しつぶされて、

古代ローマ時代 アリーナ ペタンクに興じる男性陣

かつての剣闘士のかわりにペタンク(鉄球を使ったゲーム)に興じる男性陣。
ここは公園として一般開放されています。

古代ローマ時代 アリーナ 猛獣の檻 歴史見学ツアーの学生 観客席

かつての観客席に座る子供たち、夏休みの歴史ツアーグループのようです。
左下の四角い穴は、かつて猛獣を待機させていた檻と言われています。
鉄格子がカシャッと開いて剣闘士との血沸き肉躍る戦いが始まったわけですね、
ローマ人ってね、、
観客席はもっと高くまで築かれていたのですが、ほとんどが崩れ落ち、または破壊されて今見える部分は下の部分のみ、チケット高めのお席だったかな。
収容人数は軽く一万人を超えていただろう、ということです。

rue des arenes 古代ローマ時代 アリーナ 脇の道路名

この遺跡が発掘されたのは19世紀、地名として Arènes が残ってはいましたが姿は見えず、街の建築工事の際に発見され、発掘を求める人々の努力により(揉めたそうです、)現在もこうして大切に保存されています。